もう十分仕事はした

私はもともと絵描きになりたかったのだと思う。小説家になりたいとか歌人になりたいとか科学者になりたいとかいうよりも前に、まず最初になりたかったのは画家であったと思う。それで最近やたらと AI に浮世絵など描かせてみたりしたのだが、結局、自分にある種の画家としての才能が無いわけではないと思うが、世の中には絵が好きな人はいくらでもいて、その中で評価されるほどの才能があるわけではない、仮に万一あったとしても才能だけで人は画家として認められるとは限らない、というあたりに話は戻ってくる。高校生の頃既に私にはそのくらいの認識はあった。

やるだけやってみて、AI生成コンテンツというものがある程度わかってきて、これはもう、商業イラストなどというものはすべてこれからはAIが描くようになるだろうなとは思った。江口寿史などは川瀬巴水の直系の弟子と言っても良いのではなかろうか。ああいうものを描いて画家として仕事になっていた時代はもう終わった。

動画に関していえばまだまだダメだ。浮世絵のように、一枚絵で、原画を人間が選別できて、ある程度きちんと指示が出せるものは、今でも相当のものが描けるけれども、動画だとフレーム1枚1枚人間が指示を出すことは現実的ではなく、あまり指示しすぎるとAIが狂ってきてしまう。

AIがハイジを描けたのは意地悪な小娘のイラストというものをAIがものすごい数学習していて、その中から私の描くハイジに近いものがすでにあったからだろう。デーテを描かせるとそのへんのなんの特徴もない普通の若い娘のイラストになってしまう。私のイメージしているデーテの絵というものは世間にはハイジほどはなくてAIの学習量がまったく足りてなくて、私のイメージとぴったりなアセットをひっぱってこれていないのだろうと思う。

強羅や仙石原の大涌谷みたいな景色をAIに浮世絵にしてもらおうとすると、もとの写真とはまったく別の作った絵柄、構図にしてしまう。言葉で説明しようとするとその言葉に引っ張られてますます原画からはずれていく。

人間はまず写生してそれから描く。写生というのは要するに学習して脳の中でモデル化しているわけである。モデル化し、記号化したものを絵に描く。AIはしかし学習はしない。生成AIがコンテンツを生成する過程に新たな学習は無い。学習は既に終了してしまっているので、入力された写真と既に学習された映像群を統計的にマッチングさせて絵を浮世絵風にしたりする。コラージュとオマージュでできている。学習が足りてないと、原画とは似ても似つかぬ絵になってしまう。

AIでさんざん絵を描いたせいで、いまやもう市販の書籍の表紙などはみんなAIが描いたように見えてきた。非常に気持ち悪い。漫画家ももうみんなAIを使っていて、ゴルゴ13は目だけさいとうたかをが描いてあとはアシスタントが描いてたというがそういうことになるんだろう。

それで自分は画家かといえば、画家だと言い張ればいえなくはないかもしれないが画家ではなく、作曲家かといえばやってみたら作曲の真似事くらいはできることがわかったが明らかに作曲家ではない。では何者なんだろうと考えたとき、「はかもなきこと」に書いていた膨大な文章があって、いまさらながら、ああ自分という人間はこういう人間なんだなと、それを読んで気付かされる。「はかもなきこと」なんだが毎日(!) 5000件くらいいまだに 404 アクセスがあるんだが、いったいどこからそんなにアクセスしてくるんだろうか。不思議過ぎる(ほとんどはクローラーだとしてもだ)。ともかく自分で自分がわからなくなりかけていたので、「はかもなきこと」を少しずつ復活させながら、これから死ぬまで何をひまつぶしにしようか考えることにする。

思うに今度出る本(出るでる詐欺で3年間出てないので自分でもほんとに出るのかいまだに信じられない)よりも良い本は私には書けないと思う。もう61才だ。もう文才に伸びしろはあるまい。しかもなんだかんだで3年かけたのだ。この先おなじくらい時間をかけて丁寧にじっくりと本を書けるとは思えない。私はもう十分この世の中のために働いたと思う。さらに何かを遺そうとあくせくしても仕方ない。何もしないくらいで多分ちょうど良い。

思うにAIに私が書いたような本が書けるようになるのはまだまだ先だと思う。翻訳にしても、長編小説を一度に訳させようとしてもAIは狂ってしまう。1万字くらいにぶつ切りにして、適当につなぐしかない。grok imagine だってせいぜい10秒の動画しか作れない。10秒のぶつ切り動画をなんとかつなぐしかない。長いものは苦手なのだ。私が今度出す本は20万字になるか30万字になるかわからんが、もとは100万字とか200万字あったものを20万字に削ったものなので、AIにわかるはずがないと思う。そもそも今のAIはまだ和歌もまともに詠めない。

エウメネスにしてもだ。エウメネス1だけにしても、まずガンダーラがあり、次にパンジャーブがあり、パルシュニ川の戦いがあり、ゲドロシアがあり、それと並行してアマストリーやアパマやネアルコスやセレウコスの話があるのだ。エウメネス1は7万字程度の短いものだが、たぶん普通の小説でいうと20万字くらいの長編小説と同じくらいの内容がある。AIに理解できるはずがない。しかもエウメネスは全6巻だ。第1巻の序章は第6巻の終章の伏線になっているし、もちろん伏線回収はそれだけではない。ただだらだら長いだけではなく構造化されている。しかも私が書いた小説はエウメネスだけではない。関白戦記とか西行秘伝とかその他もろもろある。AIはしかし部分的には私の小説を理解してくれる。人間で私の小説を理解してくれている人がどれほどいるだろうか。

私が書くのと同じ文章をAIが書けるとしたらそのときはAIの中に仮想化された私がいるのである。私という人間を学習し終えるしかないと思う。そのための著作はしかしもうすでに十分残したような気もする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です