godfather part 2

序盤でマイケルがフレドやフランキーと交わす会話がすべて伏線になっているのだが、フランキーのセリフの中でいきなりハイマン・ロスという名が出てきて、こいつがすべての黒幕なのだが、マイケルとフランキーの会話だけでそれをわかれというのが無理過ぎる。

コルレオーネ一家はニューヨークからラスベガスに拠点を移そうとした。コルレオーネはクレメンザとの抗争に勝利して、フランキーはそのニューヨークの縄張りを引き継いだが、ロサト兄弟と対立していて、そのバックはロスがいるというのだが、いきなりロサトとかロスとか言われても知らんがなとしか言いようがない。ヴィトー・コルレオーネがイタリアからアメリカに移民してきてどうしたこうしたという話は分離して、ラスベガスとキューバの話をもっと丁寧に描くべきだったのではないか。

キューバ革命は成功するかもしれないとマイケルが直感する場面も、あまりにも安直で説明的過ぎる。

マイケルはラスベガスで利権を固めるためにロスとうまくやりたい。ロスと対立しているフランキーを抑えたい。そこがマイケルの判断ミスだということが一番重要な伏線なんだから、それを冒頭部分でもっと丁寧に描くべきなんじゃないのか。

ゴッドファーザー2、ゴッドファーザー追記。

これはもう原作の小説を読まんとラチがあかん気がしてきた。さすがに小説では丁寧に描かれていると思うんだよね。

自宅襲撃の直後、マイケルは信頼するトム・ヘイゲンに対してはっきりと「ロスが自分を殺そうとした」と明かしています。

襲撃直後にマイケルとトムが会話するシーンはあるんだが、マイケルはそんなこと全然言ってないんだが(笑)。

マイケルはロッコやネリなどの忠実な部下まで疑っている。ある意味すでにフレドも疑っている。トム以外はすべて疑っていると言っている。

この場面は原作には無いらしい。だから映画のシーンだけが判断材料のすべてだな。

AIが勝手に嘘を言っているわけじゃないと思うんだな。世の中にはそういう解釈が広まっているということなのだろう。何を信じたらいいのかね? Godfather part II ほどの誰もが知ってる有名作でもきちんとした解釈が確定していないの?まじで?自分で確かめるしかないのか。

The Interpreter その2

amazon でレビューを見てしまったので、The Interpreter (2005)の続きを書くのだが、やはりこの映画はいろんなことを詰め込もうとして破綻しているのだと思う。

冒頭、アフリカで男3人組が出てきて、そのうちの二人がアフリカ人の子どもらに射殺されてしまう。そのあと国連本部の通訳の女シルビアが出てくるのだが、連続性がまったくない。殺された二人はシルビアの兄と恋人で、生き残ったのがフィリップという男で、フィリップはシルビアに遺書を残して自殺するんだが、なぜ自殺したのかよくわからない。ともあれ、話の流れがまったくわからぬままこのへんまで見されられる。

gemini に聞いてみたのだが、gemini も人間関係が混乱していてよく理解していないようだ。これは困った。

まず、Simon、彼は Silvia の兄。Xolaは Silvia の恋人。Philip と Simon と Xola は3人でアフリカのスタジアムの廃墟のようなところに死体(たぶん大量虐殺現場)を見に行く(なぜ?)。Simon と Xola は Philip を車に残してスタジアムの中に入り、そこでアフリカ人の子どもらに射殺されてしまう。

Silvia は Philip と連絡をとることに成功する。Philip は Xola は死んだが Simon は生きていると嘘をつく。そのあと Philip は Silvia にほんとうのことを書いた遺書を残して自殺してしまう。なぜ Philip は自殺したのかと gemini に聞いても、gemini もよくわかってないらしくてまともに答えられない。

いやいやいや。ストーリー複雑すぎだろ。

初版限定DVDには別のラストが収録されているらしく、それでは、国連会議で演説中にシルビアがズワーニに銃を突きつけて(ズワーニは大統領なので国連本部に銃を持ち込むことが許されていた。シルビアはその銃を奪ったのだろう。国連で通訳として働いていたシルビアはもちろんその事情を知っていた)、死者確認リストをズワーニに読み上げさせたという。その方がまだ展開としては自然だったかもしれない。

監督のシドニー・ポラックはユダヤ人でこういうややこしい国際問題を描くのが好きなのだと思う。私がこの映画を面白いなと感じて最後まで一気に見たのは、この映画の雰囲気が homeland に似ていたからだと思う。わけがわからないまま見ていくとそのうちすべてが伏線回収されて気持ちよく見終わるのかと思ったが全然そうではない。

ショーン・ペンとニコル・キッドマン(シルビア役)というのが割と有名な役者らしいのだが、それがまたこの映画の評価を微妙なものにしている。

ショーン・ペン演じるトビン・ケラーという捜査官はいきなり妻がこないだ交通事故で死んだとか言い出すのだが、これが重要な背景なのだとすれば、ちゃんと映像で描かなきゃダメだろ。トビンとシルビア、それぞれの背景にある人間関係をもっと丁寧に描かないとストーリーがまったく伝わらない。homeland のような長編ドラマにしたほうがよかったのではなかろうか。2時間で全部説明するのは不可能な気がする。

あと死亡確認名簿というものにこだわりすぎているような気がする。最後にズワーニに読み上げさせるという小道具として使いたかったのだろうけど、うまく活かされてない。

ICC (ハーグ国際裁判所)と国連とアメリカ政府の関係についても(知っている人は知っているのだろうが)もう少し丁寧に説明すべきなんじゃなかろうか。最近トランプ大統領がICCをうんたらかんたらとか言っていたので、ここだけでもかなり面白いものが作れるのだろうなと思う。

見切り

私が公務(?)というか本業(?)というか、ともかくそれまで自分がやってきた仕事に見切りをつけて、趣味の仕事(?)というか個人的な仕事というか、和歌のようなものに本腰を入れ始めたのが 2009年くらい44才の時だった。小説をめったやたらに書き始めたのもそれ以後だし、藤原定家の本を書かせてもらったり、ヨハンナ・シュピリの初期作品集など翻訳をやったりもした。32才の時に転職してから私の人生は全然違う方向へ向かい始めたのだが、46才で大病を患った後はほぼ全然違う、もうひとつの人生みたいになっていた。そういう意味では絵は子どもの頃から描いていたし、和歌は18才くらいから詠もう詠もうと努力していたので、今もあまり変わらずに続いている趣味であって、あとどのくらい生きるか知らないがたぶん死ぬまで続けると思う。

映画のようなものはとうてい一人では作れないのだが小説ならば一人でものすごく壮大な話も作れると思い、小説を書いていたのだけど、最近は AI に頼めば自分の小説を原作に映像作品くらい作れるんじゃないか、すくなくとも、挿絵くらいは全部描き直せるんじゃないかなどと思ったんだが、いい加減疲れてきた。まあ無理だなと思い始めた。

初出・初版一覧 など見るに特務内親王遼子もまた 2013年頃に書いている(この年 kdp が始まった)。遼子もまたそれなりに思い入れのある作品だが、最初から挿絵をCGで描いたりしていた。今これをAIに全部描き直してもらおうかなどと考えていたのだが、全然ダメだ。元絵があるからそれをAIに見せれば描けるかと思ったが、元絵があるからこそ全然気に入るようにならない。まず、キャラクターの顔が固まらない。毎回違う顔になる。だんだん設定がズレていく。丸椅子が四角い椅子に変わったりする。夢の中ではよくある話だ。とにかく全然ダメ。

word文書 (.docx) を pタグと rubyタグだけのシンプルな html に変換したいと思った。そうすれば wordpress の html 編集でそのままもってこれるからだ。gemini に頼んでも chatgpt に頼んでもできるという。ネットでググってもできるという記事しかないが、全然出来ない。たったこれだけのことがいまだにできない。もしかすると1文字ずつルビがふってある場合はルビと認識できるのかもしれない。2文字以上まとめてふってあるとルビとして認識できないとかなんかそういうややこしい事情があって、できるものもあればできないものもある、.docx からコピペしただけでできるときもあればできないときもあるという、できるんだかできないんだかどっちでもない状態。AIも同じだ。できるんだかできないんだかどっちかよくわからん状態。

もうほとほといやになった。あと数年もすれば、或いは十分に課金すれば、遼子を映像化できるんじゃないかという期待もあったが、今は文字作品としての完成度を上げることに集中して寝かせておこうと考えている(完璧な小説を書いておけばそのうち誰かが映像化してくれるかもしれない。自分で見ることはできなくとも)。もう60才を過ぎたので、今から新しいことを一から始めるよりも、今まで作ってきたものを保全して完成に近づけるだけで手一杯だ。2013年頃に戻ってしまった。

rubyタグを使っているのは日本人くらいなのだろう。だからいつまでたってもバグがとれない。AIもまじめに取り組まない。やれやれ。

AIというものを相手にしてみて、監督というものはずいぶん厄介な仕事なんだろうなと思い至ったりもした。

u-next と netflix

netflix に比べて u-next は動作がもっさりしているように感じます。サーバーの余力の問題でしょうか。

単に「サーバーの性能不足」だけではなく、システムアーキテクチャや配信インフラの違いが大きく影響しています。

Netflixが群を抜いてスムーズに動くのに対し、U-NEXTなどの他サービスが少し重く感じられる主な理由は以下の3点です。

1. 独自CDN(配信ネットワーク)の規模の違い

Netflixは「Open Connect」という独自の巨大なCDN(コンテンツ配信ネットワーク)を世界中に展開しています。世界中の大手インターネットプロバイダ(ISP)の社内やすぐ近くに専用サーバーを無償で設置しているため、データが届くまでの物理的距離と経由する回線が圧倒的に短く、動画の読み込みや早送りが爆速で完了します。

一方、多くのVODサービスは汎用のクラウド(AWSやGoogle Cloudなど)や外部の共通CDNに依存しているため、アクセス集中時や通信のレイテンシ(遅延)でレスポンスに差が出やすくなります。

2. アプリ・UIの設計手法(レンダリング構造)

Netflixは、アプリUIの軽量化やキャッシュ(一時データ保持)処理に異常なほどの投資を行っています。画面をスクロールする前に裏で次のサムネイルや動画の冒頭データを先読み(プリフェッチ)する技術が非常に長けているため、ユーザーには「待ち時間ゼロ」に感じられます。

U-NEXTは映画・ドラマだけでなく、漫画・雑誌・電子書籍・ライブ配信など多岐にわたるコンテンツを一つのアプリやシステムで統合処理しています。扱うデータ量や処理の複雑さが増す分、画面遷移やリクエスト処理の際にもっさり感が出やすくなります。

3. 動画圧縮(エンコード)技術の最適化

Netflixは作品ごと・シーンごとに最適なビットレートを割り分てる高度な自社エンコード技術を持っています。これにより「低い通信量でも高画質かつ瞬時に再生を開始できる」環境を作っています。

手元で少しでも動作を軽快にするための対策

  • 画質設定の変更: アプリの設定で動画画質を「自動」から固定画質に下げると、読み込み時の引っかかりが減ることがあります。
  • アプリやブラウザのキャッシュ削除:特にスマホアプリやスマートTVのアプリはデータが溜まると重くなりやすいため、定期的な再起動やキャッシュ削除が有効です。

週末、u-next が重くなるということはありますか。

はい、週末(特に土日の夜間)はU-NEXTが重くなりやすい傾向があります。

これは「U-NEXT側の問題」と「ご自宅までの通信回線の問題」の2つが重なるためです。

1. U-NEXT側のサーバー混雑

金曜夜〜日曜夜(ピークタイムは20時〜23時頃)は利用者が一気に増えます。

特に以下のような要素が重なると、トップページの表示が遅くなったり、再生開始までに時間がかかったりします。

  • 人気作品の配信開始やライブ配信: 独占配信のドラマやスポーツ・音楽などのリアルタイム配信がある週末はアクセスが急増します。
  • マルチコンテンツの弊害: 前回触れた通り、U-NEXTは動画だけでなく電子書籍の読み放題なども扱っているため、週末のセールなどで動画以外の通信リクエストも跳ね上がります。

2. インターネット回線(プロバイダ)の混雑

週末の夜は、日本のインターネット回線全体(特にNTTフレッツ光網などを使うコラボ光)が混雑します。

ご自身の契約速度が「1Gbps」等であっても、地域の基地局やプロバイダの設備で帯域が圧迫されるため、速度低下やレスポンスの遅れ(ping値の上昇)が発生します。

週末の「重さ・遅さ」を抑えるための対策

  1. 見たい作品を事前に「ダウンロード」しておく(スマホ・タブレット限定)通信の影響を一切受けなくなるため、週末のピーク時間帯でもノータイムで再生できます。
  2. 接続をIPv6(IPoE)対応にする自宅のWi-Fi回線が従来の「IPv4(PPPoE)」の場合、週末夜間に著しく速度が落ちます。ルーターやプロバイダの設定でIPv6接続になっているか確認してみてください。
  3. 高画質作品は少し前に読み込ませておく再生ボタンを押したあと、すぐに視聴せず数十秒ほど一時停止しておくと、冒頭のデータがバッファリングされて途中の止まりが減ります。

やはりインフラの強固なNetflixに比べると、週末の混雑ピーク時の挙動には差が出やすいのが現状です。


Youtube をだらだら見てはいかん。u-next や netflix を開いて出てきたやつを適当に見てもいけない。監督や原作、俳優などをきちんと調べて、検索して、見るべきだ。それが時間の効率的な使い方というものだ。映画館には見にいかない。あれは私にとっては苦痛でしかない。

The Interpreter (2005)

The Interpreter を見たのだが、実に面白かった。死亡確認リストに自分の名前を書くところでやっとオチがわかった。ただしオチは二重になっていたけれども。

A polished and intelligent thriller, though marred by plot implausibilities 洗練された知的スリラーだが、プロットがあり得なさすぎるのが玉に瑕。

coolly absorbing without being pulse-quickening. ハラハラどきどきしないが冷静に引き込まれる。

The Interpreter を見たのですが、オチで少しわからないところがあります。シルビアは事前にズワニーが一人きりになることを予測できなかったと思います。ぐうぜんたまたまうまい具合にそうなったということでしょうか。

結論から言うと、シルビアは「ズワニーが1人きりになること」を事前に正確に予測していたわけではなく、絶好の機会が訪れるのを忍耐強く待ち構えていた(そして、ズワニー自身の「プライド」がスキを生んだ)というのが劇中の展開です。完全に「たまたま」というよりは、必然と偶然が重なった結果と言えます。

具体的には、以下の3つの要素が重なってあの状況が生まれました。

1. シルビアの元々の狙いは「公衆の面前での暴露」だった

シルビアは最初からズワニーを密室で暗殺することだけを目的に国連ビルへ潜入したわけではありません。彼女の第一の目的は、ズワニーが演説する場で彼の過去の悪行や真実を世界中に暴露し、告発すること(あるいはその場で彼と対峙すること)でした。そのため、国連ビル内の動向を観察しながら機会を伺っていました。

2. ズワニー側の「自作自演」と自尊心による孤立

クライマックス直前、ズワニーは「自分を命がけで庇った英雄」に見せかけるための偽装暗殺(自作自演の狙撃事件)を計画・実行させます。

演説中に偽の狙撃が起き、シークレットサービス(ケイ・ミラーたち)はズワニーを安全なセーフティルーム(退避室)へ速やかに護送します。このセーフティルームは「VIPの安全を確保するための最も安全な場所」であり、外部からの侵入を防ぐために厳重に隔離される仕組みになっていました。

ここでズワニーは、自身のプライドと「もう安全だ」という過信から、警護員たちに「外で見張れ(自分一人にしてくれ)」といった態度をとり、部屋の中に一人で残る状況を自ら作ってしまいます。

3. シルビアの「待ち」と先回り

シルビアは国連ビルの構造やセキュリティの動きを熟知していました(通訳として働いていたため)。偽の狙撃事件によって場内がパニックになり、ズワニーがどの避難経路を通ってどのセーフティルームに連れて行かれるかを瞬時に予測し、先回りして潜入したのです。

まとめると:

シルビアが完璧なシナリオを描いていたというよりは、「ズワニーが自作自演の事件を起こした結果、彼自身が安全だと思い込んで一番孤立する場所(セーフティルーム)に入り、警護を退けた」というズワニー側の過剰な自信とスキを、シルビアが見逃さずに捉えたという流れになっています。

そこがちょっとご都合主義になっていて残念な感じがします。

その感覚、非常に鋭いですし、この映画の評価でよく指摘されるポイントでもあります。

サスペンス映画として観ると、「国連ビルの最も堅固なセーフティルームに、一般職員であるシルビアが銃を持ってあっさり先回りできていること」や、「警護のプロであるシークレットサービスがVIPを完全に一人にしてしまうこと」は、たしかに展開の都合(ご都合主義)が目立ってしまいますよね。

この作品(シドニー・ポラック監督)がサスペンスとしてのリアリティよりも優先してしまった理由として、以下の2つの側面が挙げられます。

1. 「本格サスペンス」よりも「対話劇」を描きたかった

映画の最大の見せ場は、銃撃戦や鮮やかな暗殺トリックではなく、「憎しみに囚われたシルビア」と「権力と誇大妄想に憑かれたズワニー」の直接対決、そして追ってきたケイ・ミラー(ショーン・ペン)との対話でした。

制作陣としては、「ズワニーとシルビアが1対1で向き合い、言葉を交わすシチュエーション」をどうしても作る必要がありました。そのために、セキュリティの厳重さや警護の手順といったリアリティを少し犠牲にしてでも、あのセーフティルームの状況を強引に用意してしまったという側面があります。

2. 「復讐の連鎖を断つ」というテーマへの落とし込み

シルビアは、かつてズワニーが掲げていた「平和への理想」が独裁者へと変貌する中で失われてしまったことを知っています。彼女が銃を突きつけながらズワニーに自分の著書(かつて彼が書いた平和の言葉)を読ませるシーンは、物語のテーマ(言葉 vs 暴力)のクライマックスです。

サスペンスの整合性よりも、この「言葉による決着」というドラマ的カタルシスを優先した結果、クライマックスへの流れが少し大雑把に見えてしまうのは否めません。

ハリウッドの超大型サスペンス映画(しかも実際に国連本部でロケ撮影を行った初の映画)というスケールの大きさに対して、クライマックスの展開が「偶然と強引なセッティング」に頼ってしまった点は、映画ファンほど引っかかりを覚える部分だと思います。

シルビアが嘘発見器にひっかからなかったのはそういう訓練をしていたからでしょうか。

シルビアがポリグラフ(嘘発見器)をパスできたのは、特殊な訓練を受けていたからではなく、彼女の心理状態(精神的なトリック)によるものとして描かれています。

劇中でシルビア自身がケイ・ミラー(ショーン・ペン)に対してそのカラクリを種明かしするシーンがあります。

ポリグラフを突破した「心の騙し方」

嘘発見器は「嘘をついているときの緊張感(汗、心拍数、血圧の変化)」を測定する機械です。シルビアは質問に対して、次のような心理的なアプローチで答えていました。

  1. 「嘘」を「真実」として答えられる質問に置き換えるたとえば、「ズワニーを殺したいか?」や「事件に関与しているか?」といった直接的な質問をされた際、彼女は頭の中で自分にとっての「真実(過去の事実や別の文脈)」を思い浮かべながら答えていました。自分が本当に信じていることを思い浮かべて話すことで、心拍数や血圧の変動(=緊張反応)を抑えたのです。
  2. 圧倒的な冷静さと執念彼女はアフリカの過酷な紛争地域(マトボ)で家族を失い、死と隣り合わせの凄惨な過去を生きてきました。そのため、一般的な人間が尋問で感じるようなプレッシャーや緊張に対して精神的に非常に強く、感情を完全にコントロールできる状態にありました。

映画的な演出としての側面

シルビアは元指導者(ゲリラ運動)の娘であり、通訳として複数の言語や人間の心理分析に長けている人物です。そうした頭脳と、過去の凄惨な経験から培われた「完璧なポーカーフェイス」が合わさった結果、訓練なしでもポリグラフを騙すことができたという設定になっています。

ただ、これもサスペンス映画によくある「頭脳明晰な主人公が心理トリックで取調官を翻弄する」というフィクション的な演出の一つではあるため、少しスマートすぎると感じる部分かもしれません。

ケイ・ミラー(ショーン・ペン)がシルビアの嘘を見抜けた理由について聞きますか?

ケラー捜査官が序盤で「彼女は嘘つきだ」と言ったのが伏線になっていると思いますが、確かになぜ嘘つきだと思ったのでしょうね。

まさにそこが、ケイ・ミラー(ショーン・ペン)というキャラクターの真骨頂であり、映画の前半で2人の関係性を決定づける重要なポイントです。

ケラーが序盤から「彼女は嘘をついている」と見抜けたのは、警察官・捜査官としての「職業的な直感」と、彼自身が抱えていた「個人的なトラウマ」の2つが理由です。

1. 悲しみの「質」が自分と同じだった(個人的な直感)

ケラー自身、妻を事故(実質的には妻の不貞と悲劇的な死)で亡くしたばかりで、深い喪失感と怒り、そして「過去を隠している人間」の空気を誰よりも熟知していました。

シルビアは「事件の偶然の目撃者」として振る舞い、怖がる被害者を演じようとしますが、彼女の目には「怯え」ではなく、ケラーと同じ「深い悲しみと、抑えきれない復讐心」が宿っていました。自分と同じ痛みを抱え、何かを隠している人間の匂いを、ケラーは本能的に察知したのです。

2. 「証言」と「態度」の微妙なズレ(プロとしての観察)

シルビアは賢いので、警察の質問に対して「論理的には筋の通った答え」を返します。しかし、捜査官であるケラーから見ると、以下のような違和感(ズレ)がありました。

  • 冷静すぎる反応: 暗殺計画という命の危険に関わる話を聞いてしまった人間の反応にしては、落ち着きすぎており、防衛本能(警察への全面協力や逃亡)よりも「事件への執着」が見え隠れしていたこと。
  • 生い立ちの秘匿: 彼女がアフリカの紛争地域(マトボ)の出身であり、家族を惨殺された過去という「事件に直接結びつく最大の動機」を自ら話さず、隠そうとしたこと。

3. 「暗殺を止めたい」のではなく「関与したい」顔をしていた

ケラーが感じた最大の違和感は、彼女が「恐ろしい計画を聞いてしまったから助けてほしい」のではなく、「その計画(またはズワニーの存在)に自分から引き寄せられている」ことでした。

つまるところ、シルビアはポリグラフ(機械)の測定数値をコントロールすることはできても、「身から滲み出る復讐の空気」まで隠すことはできなかったということです。

機械は誤魔化せても、同じように心に傷を負ったプロの捜査官の目(直感)だけは騙せなかったという、この2人の対比と心理戦こそが、物語前半の大きな見どころになっています。

シルビアはポリグラフのテストを受ける直前に Nils Lud を見て動揺していたようですが、彼女は彼を見知っていたのでしょうか。彼が黒幕だと最初から気付いていた?

はい、シルビアはニルス・リュード(Nils Lud)の顔を最初から知っていました。

ただし、「彼が最初から黒幕(ズワニーの自作自演の相棒)だと見抜いていた」というよりは、「自分の弟や元恋人を死に追いやった、宿敵(ズワニー)の右腕(殺人請負人)」として彼を認知しており、その予想外の登場に激しく動揺したのです。

このシーンには、以下のような文脈と理由があります。

1. ニルス・リュードとは何者だったのか?

リュードは、マトボの独裁者ズワニーの「暗部」を担ってきたセキュリティ顧問(事実上の秘密警察・秘密工作のトップ)です。

シルビアにとってリュードは、母国マトボでズワニーの弾圧政策を実行し、自分の家族や仲間たちを殺害・迫害してきた直接的な元凶のひとりでした。そのため、彼の顔を忘れるはずがありませんでした。

2. なぜポリグラフの直前に動揺したのか?

シルビアは「国連の静かな通訳」として身分を隠し、安全なニューヨークで暮らしているつもりでした。

しかし、ポリグラフテストを受けるために連れて行かれた建物(国連本部内)で、思いがけずリュードとすれ違い、彼がニューヨークに来ていること、しかも国連内を自由に歩き回っていることを目撃してしまいます。

これによってシルビアは以下の衝撃を受け、動揺しました。

  • 自分の正体(過去)がバレる恐怖: 「彼に見つかったら、自分がクベナ(反体制派の指導者)の娘であることが一発で露呈する」という切迫感。
  • 事態の深刻さの察知: 単なる噂や聞き耳ではなく、「ズワニー側が本気でニューヨークで大きな工作(暗殺事件の仕込み)を動かしている」という現実を突きつけられたこと。

3. 黒幕だと気づいていたか?

この時点でのシルビアは、「リュードがいる=ズワニーが何か恐ろしい陰謀を進めている」ことは確信していましたが、それが「ズワニー自身による自作自演の自爆テロ・狙撃劇」という具体的なカラクリまで見抜いていたわけではありません。

しかし、かつて故郷で残酷な工作を指示してきたリュードが現場に現れたことで、彼女の復讐心と危機感は一気にピークに達することになります。

ポリグラフの直前という「一番心を平静に保たなければいけないタイミング」で、よりによって過去のトラウマそのものであるリュードと遭遇してしまったため、あの瞬間のシルビアは激しく動揺し、それを必死で抑え込もうとしていたのです。


gemini が「ケイ・ミラー」と言っているのは「トビン・ケラー」の間違いだと思う。

最後まで飛ばさずに(多少我慢は強いられたが)一気にじっくり見れたし、何度か繰り返してみたいとさえ思えたのは、自分としてはかなり珍しい(気に入った)部類に入る。なんも考えずにエンタメとして見れる作品ではない。

gemini がいうようにサスペンス要素を削ってまでして、対話とお説教要素を加える必要があったのかどうかというのは気になる。やはり欧米人がアフリカをネタにするときはどうしてもそういう贖罪意識とかアフリカに対するお節介のような要素が加わってしまうものなのか。ま、しかし、ハリウッド映画とはもともとそうしたもの(アメリカ人目線の娯楽)なのだからそこを気にしても仕方ない気もする。