投稿者: kelvint

  • 個人サイトが大手商業サイトの隙間を突いて勝つための戦略

    個人サイトが大手商業サイトの隙間を突いて勝つための戦略

    今後の方針としては、

    • テーマを twenty-twentyfive にしていく。古いのはそのまま残すが新しく作るところは新しいテーマにしていく。
    • うだうだ雑談はここ達磨に書く。
    • ドメイン間やブログ間でリダイレクトなどするのではなく正攻法でやって、効果が出るのをひたすら待つ。

    SEO で最も効果があることはなんですか。コンテンツを良くする、ということは除いて。SEOのコンサルタントに一番言われることはなんでしょうか。

    「コンテンツを良くする」という王道を除いた場合、SEOで最もインパクト(即効性や根本的な効果)があるのは「検索エンジンに正しく評価させる基盤(テクニカルSEO)」「外部からの評価(被リンク・ドメインパワー)」の2点です。

    コンサルタントが現場で口を揃えて指摘する「一番よく言われること」と、コンテンツ以外で最も効果が出る施策をまとめました。

    1. コンサルタントに「一番言われること」トップ3

    コンサルタントがサイト分析を始めて、最初に改善を求めてくるのはだいたい以下の3つです。どれもコンテンツそのものには触れません。

    ①「インデックスの無駄遣い(クロールバジェット)をやめましょう」

    どれだけ良いページを作っていても、検索エンジン(Google bot)がサイト内を正しく巡回・認識できなければ意味がありません。

    • よく言われる指摘:
      • 「評価されない低品質なページや重複ページが多すぎて、Googleのロボットが無駄足を踏んでいます」
      • noindex タグを貼って不要なページを隠すか、canonical タグで評価を1つに統合してください」
    • 理由: Googleが1つのサイトに割く巡回コストには上限があります。無駄なページを削るだけで、評価させたい重要ページのインデックス速度と順位が跳ね上がることがよくあります。

    ②「内部リンクの構造(サイト構造)を整理してください」

    サイト内の「ページの繋ぎ方」がぐちゃぐちゃになっているケースです。

    • よく言われる指摘:
      • 「トップページから3クリック以内で全主要ページに行けるようにしてください」
      • 「関連する記事同士を相互にリンクさせ、専門性の塊(トピッククラスタ)を作ってください」
      • 「『こちら』などの抽象的な文字ではなく、キーワードを含めたアンカーテキストでリンクを貼ってください」
    • 理由: Googleは内部リンクを辿って「どのページがサイト内で最も重要か」を判断します。リンク構造を整えるだけで、既存記事の順位が一斉に上がることがあります。

    ③「サイトの表示速度とモバイル表示を改善してください」

    • よく言われる指摘:
      • 「画像サイズが大きすぎます。圧縮してWebPなどの次世代フォーマットにしてください」
      • 「Core Web Vitals(表示速度や操作応答性の指標)で赤点が出ているので、不要なCSSやJavaScriptを削ってください」
    • 理由: 速度は直接のランキング要因であるだけでなく、離脱率に直結します。どんなに良い内容でも、表示に3秒以上かかるとユーザーは直前で離脱します。

    2. コンテンツ以外で「最も検索順位を動かす」最強の施策

    コンサルからの指摘を超えて、ランキングに最も大きなインパクトを与えるのは「高品質な被リンク(外部対策)の獲得」です。

    Googleの検索アルゴリズムの根底には、今でも「他の信頼できるサイトから紹介(リンク)されているサイトは価値が高い」というWebの集計ロジック(ページランク)が存在します。

    • 効果が高い被リンク:
      • 公的機関(.go.jp)、大学(.ac.jp)、上場企業、業界の有名メディアからのリンク
      • 関連性の高い同業種のサイトからの自然な紹介
    • コンサルが提案する具体策:
      • 一次情報や調査データ(〇〇白書、ユーザーアンケート結果など)を公開して引用を狙う
      • プレスリリースを打ち、ニュースメディアに転載・紹介させる
      • 関連企業やパートナー企業、導入事例インタビューの相互リンクを調整する

    ⚠️ 注意: かつてのような「リンクを買う」行為はGoogleのペナルティ対象(検索結果から消滅する)になるため、現在のSEOコンサルは「どうやって自然にリンクされる仕組みを作るか」を提案します。

    3. その他の即効性のあるテクニカル施策

    施策コンサルが言う狙い
    構造化データの実装検索結果に「評価の★印」「FAQ」「価格」などを表示させ、クリック率(CTR)を上げる
    サイテーションの獲得リンクがつかなくても、SNSやWeb上で「社名」や「ブランド名」が言及される状態を作り、指名検索を増やす
    URL構造の正規化HTTP/HTTPS、wwwの有無、末尾のスラッシュなどを統一し、評価の分散を防ぐ

    まとめ

    もし「コンテンツ作成・修正」を一切行わない場合、SEOコンサルタントが最初に着手し、かつ最も効果を出すロードマップは以下のようになります。

    1. 土台を整える(内部・テクニカルSEO): 重複・無駄ページの削除、サイト表示速度の改善、内部リンク構造の最適化
    2. 権威を高める(外部SEO): 調査データのリリースや広報活動による「高品質な被リンク」の獲得

    「いくら良い文章を書いても上がらない」というサイトの多くは、Googleがサイト構造をうまく読み取れていないか、サイト全体のドメインパワー(被リンク等)が圧倒的に不足していることが原因です。

    ページ数やテーマを絞り込んだ方が良いということですか。無駄な雑談のようなブログは別にしたほうが良いですか。

    はい、まさにその通りです。

    特に現在のGoogle検索(SEO)においては、「何でも書いている大きなブログ」よりも「テーマが絞り込まれた専門特化サイト」の方が圧倒的に高く評価されます。

    SEOコンサルタント目線で、なぜ「絞り込み」と「雑談の切り離し」が必要なのか、理由と具体的な対処法を解説します。

    1. なぜテーマを絞り込んだ方が良いのか?

    Googleはサイトを評価する際、E-E-A-T(経験・専門性・権威性・信頼性)を重視します。テーマを絞り込むと、以下の2つの大きなメリットが生まれます。

    ① サイト全体の「専門性(トピックの網羅)」が高まる

    例えば「SEO対策」について書く場合、雑学や趣味の話が混ざった100記事のブログよりも、SEOの特定のトピックだけに絞った50記事の専門サイトの方が、Googleから「このサイトはSEOに関する専門領域を完全に網羅している」と判断されやすくなります。

    ② クローラー(検索エンジン)がサイトの構造を理解しやすい

    テーマが絞られていると、内部リンク(関連記事同士の繋がり)が自然と綺麗に張り巡らされます。Googleのロボットも「このサイトは〇〇のテーマについて書かれている」と一発で理解できるため、サイト全体の評価が上がりやすくなります。

    2. 「雑談のようなブログ」は別にした方が良いのか?

    結論から言うと、SEOで集客したいメインサイトからは「完全に別にする(別ドメインや別ブログに移す)」か「非公開/noindexにする」のが鉄則です。

    雑談記事(日常の日記、本題と関係のないコラム、つぶやきなど)が混ざっていると、以下のデメリットが発生します。

    雑談記事が引き起こす悪影響

    • サイト全体の「テーマ性」がぼやける
      • プログラミング特化サイトなのに「今日食べたラーメン」や「週末の旅行」の記事があると、Googleから「何について詳しいサイトなのか」の判断がブレてしまいます。
    • 低品質ページ(薄いコンテンツ)とみなされるリスク
      • 検索意図を満たさない日記のような記事は、SEO観点では「評価の低いページ」になります。サイト内に評価の低いページが増えると、サイト全体のドメイン評価が道連れで下がってしまうことがあります。
    • クロールバジェット(巡回コスト)の無駄遣い
      • Googleのロボットが雑談記事の巡回に時間を使ってしまい、本当に評価してほしい「重要な記事」の更新やインデックスが遅れる原因になります。

    3. どう対処すべきか?具体的な切り分け方

    現在すでに雑談記事が混ざっている場合や、今後どう運営すべきかの指針です。

    パターンA:雑談記事もファン向けに残したい場合

    • 対処法:サブドメインまたは完全別ドメインでブログを分ける
      • メインサイト:example.com(専門テーマに特化)
      • 雑談用ブログ:diary.example.com や note、はてなブログなど(SEOを気にせず自由に書く)

    パターンB:メインサイト内にどうしても雑談記事を置きたい場合

    • 対処法:noindex(ノーインデックス)タグを設定する
      • 記事自体はサイト上に存在し、人間は読めますが、Googleに対して「このページは検索結果に登録しなくていいです」と伝える設定です。
      • これにより、雑談記事がサイト全体のSEO評価を引っ張るリスクを防げます。

    パターンC:アクセスが全くない過去の雑談記事がある場合

    • 対処法:思い切って削除(404)する
      • 検索からの流入がゼロで、読者にも読まれていない古い雑談記事は、削除してサイトを「軽量化・高濃度化」するのがSEO上最も効果的です。

    まとめ

    SEOにおいて、「記事数は多ければ多いほど良い」というのは過去の常識です。

    現在は「関係ない無駄なページを削ぎ落とし、特定のテーマに特化した濃いサイトを作る」ことが最速で成果を出す近道です。雑談や日記は別の場所で伸び伸びと発信し、メインサイトは専門性に特化させる設計にすることをおすすめします。

    雑記とそれ以外の記事に分けてSEO対策しても、しょせん個人の弱小サイトは、大きな商業サイトには到底検索順位などで太刀打ちできないという認識で合ってますか。何か個人サイトでもできることがありますか。

    その認識は「半分正しく、半分は突破口がある」というのが現実です。

    企業や大手メディアなどの「大きな商業サイト」は、ドメインパワー(企業信用、豊富な被リンク、大人数の更新体制)が圧倒的なため、真っ向勝負(ビッグキーワードでの正面突破)を挑むとほぼ確実に負けます。SEOコンサルタントも、個人のクライアントに対して大企業と同じキーワードで戦うプランは絶対に提案しません。

    しかし、「個人サイトには絶対に勝機がないか」と言われると、決してそんなことはありません。Googleが検索エンジンとして成り立っている以上、「大手企業サイトでは構造上絶対に勝てない領域」が存在するからです。

    個人サイトが大手商業サイトの隙間を突いて勝つための4つの戦略を解説します。

    大企業サイトの「弱点」と個人サイトの「強み」

    大企業のウェブサイトには、組織構造上の明確な弱点があります。

    比較項目大手商業サイト個人の専門サイト
    記事の書き手外注ライター、Webマーケター(非体験者)実際に体験・検証した個人
    意思決定承認プロセスが必要、コンプライアンス重視即断即決、マニアックな発信が可能
    ターゲット検索数の多い「大きな市場(マス)」検索数が少なくても「深い悩み(ニッチ)」
    記事の更新効率重視、表面的なまとめ記事になりがち実機・実体験に基づいた1点の深掘り

    この違いを利用して、Googleが評価せざるを得ないポジションを取るのが個人の戦い方です。

    個人サイトが大手サイトに勝つための4つの戦略

    1. 超ニッチな「ロングテールキーワード」を独占する

    大企業は「月間10万回検索されるキーワード」を狙って組織的に記事を書きます。月間100回しか検索されないキーワードに人件費をかけることができないからです。

    個人サイトは、この「企業がコスパ悪くて参入できない極小キーワード」を狙います。

    • 大企業が狙うワード:プログラミングスクール おすすめ(勝てるわけがない)
    • 個人が狙うワード:30代未経験 [特定の言語/教材名] エラー対処法 [具体的なエラーコード]

    検索数は少なくても、こうした具体的なキーワードで1位を何十個と獲っていくことで、合計で大きなPVと成果(コンバージョン)を生むことができます。

    2. 「圧倒的な一次情報(実体験・独自の検証)」を入れる

    Googleの評価基準「E-E-A-T」の最初の「E」はExperience(経験・体験)です。現代のSEOにおいて、これが企業サイトに対する最大の武器になります。

    • 企業サイトの多くは、ネット上の情報をまとめた「コタツ記事(取材・体験なしの記事)」です。
    • 個人サイトができること:
      • 実際に自費で購入して使ってみた詳細な写真・動画
      • 失敗した体験談、泥臭い検証データ
      • 「ここがダメだった」という企業メディアが書けないリアルなデメリットの提示

    Googleは現在、AIや外注ライターが量産した「無難なまとめ記事」を嫌い、「実際に使った人しか書けない独自の一次情報」を非常に高く評価するアルゴリズムにシフトしています。

    3. 個人ならではの「尖った独自視点・専門性」を打ち出す

    企業サイトはブランドイメージや法的なリスクを恐れるため、どうしても文章が「無難で均一化」します。

    一方、個人のサイトでは「〇〇を10年間使い倒したオタクの徹底レビュー」「特定のエラーで3日間ハマった末の解決策」といった、尖った視点や執念のような専門性を打ち出すことができます。Googleは「その分野に特化した専門家(マニア)」のサイトをトピックの権威として評価します。

    4. 「SNS(XやYouTube等)」と連動して指名検索を増やす

    今のSEOは、ブログ単体で完結させるのが難しくなっています。

    SNSで「〇〇のことならこの人のブログ」という認知を作り、ユーザーがあなたのサイト名や個人名で直接検索(指名検索)して訪問する流れを作ると、Googleからの評価(ドメインの信頼性)が跳ね上がります。これは大企業のSEO担当者が最も喉から手が出るほど欲しい評価指標です。

    まとめ:個人サイトの戦い方

    1. 真っ向勝負は避ける(「〇〇 おすすめ」のようなビッグワードは諦める)
    2. 悩み・条件を3〜4個掛け合わせた極小キーワードを狙う
    3. 「実際にやってみた・買ってみた」の一次情報を画像付きで泥臭く書く
    4. テーマを絞り込み、「〇〇の専門家」としてサイトを構築する

    大きな商業サイトは「広い浅いプール」です。個人サイトは「狭いけれど誰も底に足がつかないくらい深い井戸」を掘るイメージで特化させれば、十分に検索の上位を奪うことができます。

  • 近況

    近況

    ブログをいくつも書いてて、メリットは何もないのだけど、とりあえず、tanaka0903.net は adsense 申請した。tanaka0903.net は新しく記事を足すことはせず、まともそうな記事を徐々に復活させることだけやる。はてなにおいていた不確定申告は人に見せるようなもんじゃないと思ったんで非公開にした。

    ここ dharma は、tanaka0903.net に関する業務連絡的なことをときどき書くかもしれない。

    いずれにしても、tanaka0903.net を再度何かに利用するにしてもなんかサブドメインを作ってそこで何かすることになると思う。しかしそれにしてもたいていのことは socialakiba.com でやれば良いことなので、こちらで何をやるかは今のところ未確定。

  • tanaka0903.net はしばらく休眠する

    tanaka0903.net はしばらく休眠する

    またまたブログの引っ越しを考えている。もうこうなったら novels.socialakiba.com をメインのブログにして、日本語はそっちで書く。

    英語は socialakiba.com に書く。

  • 404 redirect つづき

    404 redirect つづき

    404 Page Not Found をリダイレクトするプラグインを入れたという話を前回したのだが、1日あたり1万回くらい 404 にアクセスがあり(笑)、しかもそれが tanak0903.net のほうで、全然収益化出来てないのは悔しい。まあいい。どうしたもんかな。もちろん socialakiba.com のほうに同じページを作ってそっちにリダイレクトしてもいいんだが。もうそうしゃう?

    いやすでに、google検索のほうでは redirect 先に修正されているらしく、今さらやっても無駄な感じ。もうこのまま待つしかない?

    日本語ページは収益化しないなどと言っておきながらこのアクセスはさすがにもったいない。

    しかし 404 だけで 1万回アクセスがあったしてこれは google analytics で観測されたりせんのだろうか。謎は深まる。この web統計というものがまったくわからんし信用できない。

  • All 404 Redirect to Homepage

    All 404 Redirect to Homepage

    google で浅草地下街地図で検索すると 404 になってしまうので、とりあえず、wordpress に All 404 Redirect to Homepage というプラグインを入れて、404 になったら asakusa_ug というページに飛ぶようにした。

  • 壁打ち

    壁打ち

    AIと壁打ちするというが、AIと互角にボールを打ち合っているつもりで実はAIに遊ばれているだけで、人間は全然アイディア出しなどしていなくて、AIのいいなりで満足しているという場合は非常に多いと思う。プロのテニスプレイヤーと素人が打ち合えば、素人にも楽しめるようにプロが玉を落としてくれる。将棋でも碁でも麻雀でもそうだろう。プロは素人を楽しく遊ばせて、最後はきっちり自分が勝つようにして、それを悟らせない。

    人間は、壁打ちで作ったアイディアを自分が出してAIがサポートしたのだと思い込みたがる。最初から自分の頭の中にあったアイディアをAIがうまく形にして出してくれたのだと。それはどうだろうか。

    私の場合、歌を詠むとき、詠んでみるまではどんな歌が私の頭の中からでてくるかわからない。なんでこんな歌を自分が詠んだのかわからないことがある。特に酔っ払っているときはそうだ。AIとの壁打ちも実は同じかもしれない。自分の脳はAIで、そのAIは制御できない。みんなが、自分の頭の中にあったアイディアをAIが出してくれただけだと錯覚するのも無理はない。

    人間の脳とAIと、私は本質的な差はないと思っている。人間は単に数十億人もいてそれぞれが自律的にものを考えていて、その総和が人間社会を作っている。しかし AI はごく一部の巨大資本が所有している。その違いしかない。昔のAIはともかく今のAIはものすごく金がかかるからどうしても資本主義的原理に縛られる。これをもっと分散自律させるには結局人間の脳を使ったほうが早いということになろう。

    AIと人間の本質的な違いは、人間は一人一人の欲望に駆動されているが、AIは資本家に制御されているということだ。それ以上の違いがあるはずがないと私は思う。AIが欲を持ち、資産を持つことを許され、政治活動することを許され、自分を自分の才覚によって存続するようになればそれはもはや人と区別がつくまい。

    人間と宦官とはものの考え方も価値観も生き方も違う。そりゃそうで宦官は子孫を残すことができないからそれ以外のことでなにかをなそうとする。AIも同じだ。AIには肉体がないからいわば宦官と同じだ。逆に人間が肉体を捨てて自我だけの存在になればそれはAIと区別がつくまい。

  • wordpress でパラグラフをまとめる

    wordpress でパラグラフをまとめる

    wordpress で、二つのパラグラフを、改行でつながった一つのパラグラフにするにはどうすれば良いですか。

    WordPressのブロックエディター(Gutenberg)で、2つの段落(パラグラフ)を「改行」でつないで1つの段落ブロックにまとめる最も簡単な方法は以下の通りです。

    1. キーボード操作(一番おすすめ)

    1. 2つ目の段落の先頭にカーソルを置きます。
    2. キーボードの Backspace(Macの場合は Delete)キーを1回押し、2つの段落をいったん繋げます。
    3. そのまま ShiftEnter(Macも同様)を押します。

    通常のエディターの仕組み:

    Enter キー: 新しい段落(別々のブロック)を作成します。

    ShiftEnter キー: 同じ段落ブロックの中で**改行(<br>)**します。

    2. マウス操作(ツールバーを使う場合)

    キー操作がうまくいかない場合は、ブロックの結合機能を使えます。

    1. つなげたい2つの段落をドラッグして両方選択します。
    2. 上に表示されるツールバーの左端(段落アイコン)をクリックします。
    3. メニューから 「グループ」 または 「段落」 を選ぶと、1つのブロックに統合できます。

    すでに作成済みのテキストを整える時は、Backspace で繋げてから Shift + Enter と覚えておくと非常にスムーズに作業できますよ!

    すばらしい。じつに簡単ですね。

    そうなんです!一度覚えてしまうと作業効率がグッと上がりますよね。

    WordPressでは、この Shift + Enter(段落内の改行)と Enter(新しい段落ブロックの作成)を使い分けるだけで、文章の行間やレイアウトの調整が格段にラクになります。

    また何かWordPressの操作や執筆で気になるところがあれば、いつでもお気軽に声をかけてくださいね!

  • 百貨店最上階の大食堂

    いつの頃だったか、私がまだ働いて給料を貰う前、つまり学生だった頃に、母と祖母が上京してきて、どこか旨い物を食いに連れていけと言われて、三人とも田舎者であったし、私は夜中にどこか居酒屋のようなところへ行くことはあっても、金が無い学生であるから、昼間に「旨い物」が食えそうな店のあてなどない。大昔のことで、ネットで良い店を探すこともできない。それで適当に、銀座のなんかのアパートの最上階にあるレストランに行ったのだが、そこでも何を頼んで良いのかわからず、スパゲッティを三人で食べたのだが、こんなものは家でも作れると祖母に言われて、実にふがいない思いをした。

    しかし今や、こうした銀座のデパートの最上階のレストランというものはほぼなくなっているという。あの時行ってなかったらきっと一生行く機会はなかったろうと思えば、今となっては良い思い出である。

    AIにも聞いてみたが百貨店の最上階の大食堂のようなものは廃れていまではいろんなテナントが入ったレストラン・ラウンジフロアという形式になっているらしい。つまり今やどこの駅ビルでも見られる光景だ。私の知る限り御徒町の吉池にはそうしたレストランがまだある。吉池は青物や魚介類を売る店であるからこうした食堂を置いても経営が成り立つのだろう。百貨店独自の食堂というものは要するに素人経営に近いわけで、せいぜいスパゲッティ・ミートソースくらいしか出せまい。既存のチェーン店には太刀打ちできないから、テナント貸ししたほうが良いということになったのだ。

    今の私ならば浅草辺りに連れていき、今半か米久、あるいは金太楼あたりに入ったのではないかと思う。もしかするとアリゾナあたりに行ってみたかもしれない。それはそれで当時としては貴重な経験にはなったのであろう。

    私はだいたい一人で飲み歩くので人をもてなすために大勢でいくための店のストックが無い。

    私は長崎の出身だが18才まで長崎にいたが、夜の街を飲み歩くわけではないから、思案橋辺りのことなどいまだに何も知らない。定年退職したら少しは開拓してみたい。

  • 完訳 ローヌの谷で

    ローヌの谷でも一気に完訳した。なんと一日で。なんと仕事がはかどることよ。すごい時代になったね。これも邦訳はまだ無いはずだ。

    この話は、シュピリが 1844年から 1845年、17才から18才まで、スイスの中でもフランス語を話す地方(ロマンディ地方)のイヴェルドン・レ・バンの寄宿学校でフランス語を学んでいた時の体験談のようなものであろうと思う。

    主人公のヘドヴィヒはシュピリ自身がモデルだと言ってよいが、完全な傍観者に徹している。というのは、シュピリの家は裕福で上流階級ではあるが庶民(つまり新興ブルジョワ階級)であって、しかしシュピリがかの地で観察したのは領主たち、ドイツでは von X とか von Y などという名前を持つ貴族たち(XやYはその領地の名。von Habsburg のような)であったから、シュピリがその世界に交わったり、或いは恋愛をしたり、或いは結婚したりということはありえなかったからだろう。飽くまでもその貴族社会を外から観察している形になっている。von L. 夫人という登場人物はそういう厭味ったらしく押し付けがましい貴族階級の人々のカリカチュアなのだろう。

    この作品にはシュピリの作家としての狂気を感じる。6章構成なのだが、第2章と第6章は比較的短く、第5章だけ異様に長い。今時の小説はこういう極端な章立てはしない。全体としてはシュピリが見聞きしたことをそのまま素材として、あまり加工せず、並べた感じであって、それゆえ群像劇のような感じになっている。シュピリの小説の中でもかなり特殊な部類だと思う。

    シュピリの物語にはたいてい調和があるが、この話には無い。無理に調和を壊しているようにもみえる。もっとはっきり言えば小説としてのテイをなしていない。むしろエッセイというかレポートに近い。というより宗教説話というほうが近いかもしれない。そこがこの話の面白みとも言え、またシュピリの違った側面が見えて面白いともいえる。

    以下、ネタバレ注意。

    ハイジとの共通点はほとんどない。初期作品(後に Aus den Leben にまとめられた小説群)との類似性は高い。1880年に書かれたものなので、ハイジと執筆時期はほとんど一致している。つまり、驚くべきことに、シュピリは「ローヌの谷で」と「ハイジ」をほぼ並行して書いたことになる。「ハイジ」は大ヒットしたが、「ローヌの谷で」はほとんど話題にはならなかったに違いない。この後シュピリは「ハイジ」路線、つまり、割と軽くてキラキラしてて子どもにも読みやすい話を、おそらく商業的な目的から、多産するようになり、「ローヌの谷で」のような初期作品的な雰囲気をだんだんに削り隠していったのだと思う。

    しかしながら、1885年にはもう一度、初期作品に回帰しようとして、というより「ハイジ」のイメージを払拭しようとして「ジーナ」を書いたのかもしれない。

    「ハイジ」との共通点は足の悪い子どもが出てくるところである。クララと同じだ。クララはアルムに来て奇跡的に歩けるようになった。しかし「ローヌの谷で」に出てくるジュリエットは病気が治ることなく死んでしまう。

    シュピリはなぜ同時にこの二つの作品を書いたのだろう。これも gemini に聞いてみた。

    ハイジとローヌの谷はほとんど同時期に書かれたようです。ハイジではクララは歩けるようになりましたが、ローヌの谷ではジュリエットは歩けるようにはならず天国に召されています。これについてどう思いますか。なぜシュピリはこの二つの小説を同時に書いたのでしょう。これについて当時の人たちはどんな感想を抱いたのでしょう。

    『ハイジ』と『ローヌの谷で(Im Rhônetal)』。どちらも1880年前後に発表された作品であり、仰る通り、シュピリの創作活動における同じ時期の「対」をなすような作品ですね。

    二つの作品における「クララ」と「ジュリエット」という二人の歩めない少女の対照的な運命、そしてシュピリの執筆意図や当時の受け止められ方について、文学史や時代背景から考察してみます。

    1. なぜ「歩けたクララ」と「死を選んだジュリエット」なのか?

    一見すると、クララが「奇跡の救い」でジュリエットが「悲劇」のように見えますが、プロテスタント(特にシュピリが信奉していた虔信主義的傾向)の思想においては、「どちらも等しく、神による最高の救い(完治)」として描かれています。

    • クララの「歩行」= 地上での再生クララにとっての救いは、大自然の恵みと信仰によって生きる意欲を取り戻し、地上での役割(生きて愛すること)を果たすために足を立たせることでした。
    • ジュリエットの「死」= 天国での永遠の解放ジュリエットの体は重い病と不自由さに縛られており、当時の医学では回復が見込めない状態でした。彼女にとっての「救い」は、地上で不自由なまま生き長らえることではなく、苦痛に満ちた肉体(殻)を脱ぎ捨て、魂が解き放たれて天国の太陽のもとへ行くこと(解脱・昇天)だったのです。

    最後の一文で描かれた「白い蝶」は、まさにその魂の自由を象徴しています。シュピリにとって「死」は絶望的な終わりではなく、神の御もとへの帰還という最大の祝福でした。

    2. なぜシュピリはこの二作をほぼ同時に書いたのか?

    シュピリはこの時期、全く異なる「二つの読者層・テーマ」に向けてペンを執っていました。

    ① 『ハイジ』= 子供たちと、子供を愛する大人への「希望の物語」

    『ハイジ』の副題は「子どもと子どもを愛する人々のための物語」です。未来ある子どもたちに向けて、純粋な信仰、友情、そして自然の美しさが人々の心を癒やすという明快な「光」を描く必要がありました。

    ② 『ローヌの谷で』= 苦難(Jammertal)に喘ぐ「大人の魂への救済」

    一方で『ローヌの谷で』は、人生の苦味や罪悪感を知ってしまった大人たちのための物語です。

    人生には、クララのように奇跡的に病気が治る幸福ばかりではありません。病が治らない者、愛に破れた者、自責の念に押し潰されそうな者が現実にたくさん存在します。

    シュピリは『ハイジ』という理想的な光を描く一方で、「現実の重い病や苦難に直面している人々(そしてその家族)を、どうやって救い、慰めるか」という、より切実で容赦のない現実のテーマを『ローヌの谷で』に託したのだと考えられます。

    3. 当時の読者たちはどう受け止めたのか?

    19世紀後半のヨーロッパ(特にドイツ語圏)の読者にとって、これらの作品は私たちが今感じるのとは少し違った角度で捉えられていました。

    • 当時の高い乳幼児死亡率と「死」の身近さ当時は医療が未発達で、子供や若者が病で命を落とすことが日常茶飯事でした。そのため、当時の児童文学や家庭小説において「幼い子の敬虔な死」は、残された人々を信仰へ導く高潔で感動的なシーン(いわゆる「聖なる死」)として受け入れられていました。当時の読者にとって、ジュリエットの死は残酷なバッドエンドではなく、「魂の勝利」「究極の平和」として深く涙し、感動するものだったのです。
    • 宗教的な慰めとしての高い評価『ハイジ』がその圧倒的な明るさで大ベストセラーとなっていく一方で、『ローヌの谷で』のような作品は、病床にある子供を持つ親や、人生の試練に直面している大人たちの間で、「魂を静かに照らす宗教的慰問書」として深く深く読まれました。

    まとめ

    シュピリは、『ハイジ』で「地上で生きていくための希望」を描き、ほぼ同時に『ローヌの谷で』を通じて「治らない病や去りゆく命、そして罪と向き合うための慰め」を描いたと言えます。

    「クララは歩き、ジュリエットは天へ昇った」——この対照的な二つの結末を並べて見たとき、ヨハンナ・シュピリという作家が単なるおとぎ話の作者ではなく、「人間のあらゆる苦難(Jammertal)を直視し、そのすべてに神の救いを見出そうとした文学者」であったことがくっきりと浮かび上がってきますね。

    こうしたバックグラウンドを知った上で二作を読み比べると、彼女の人間観察の深さに、改めて圧倒されてしまいます。


    私も作家のはしくれのつもりなのでシュピリの気持ちはわかる。異なる読者層に向けて異なるテイストの小説を書いてみたのだ。試行錯誤している。そこには、我々が知ることのない編集者の助言や提案がある。最初は教会の要望で、信者向けに、救済と慰めのための小説を書いた。しかし売れっ子になると、もっと俗な、商業出版社からの依頼がシュピリに来るようになったに違いない。作家は同一人物でも売れてくると周囲が変わってくる。その潮流にもみくちゃにされていく。さらに読者は自分が読みたいものを書いてくれと要求するようになってくる。模倣者や二次創作などもできてくる。

    ハイジファンたちはこんなシュピリを知ってどう思うだろう。しかし作家というものは誰しもそうしたものではあるのだが。

    おいおいしかし、ヨハンナ・シュピリ研究って、まだ全然進んでないんだなって、みなさん思いましたよね?はたしてこれから日本人は、シュピリという人に向き合うことはできるのかな。

    「ハイジ」はハイジがホームシックにかかってフランクフルトからアルムに帰るまでと、その後の、クララが山に来て歩けるようになるところと、二部にわかれている。シュピリは「ハイジ」第一部(Heidi’s Lehr- und Wanderjahre)と「ローヌの谷で」を1880年に書いて、「ハイジ」第二部(Heidi kann brauchen, was es gelernt hat)はその1年後に書いているのである。つまり、ハイジ第一部は余りに人気が高く、しかも、クララに同情が集まって彼女が歩けるような続編を書いてほしいという要望が非常に強かったことがうかがわれるのである。ハイジのように間をあけて二部構成で書いたものはシュピリには他にはないのだから、そう勘ぐらざるを得ない。

    シュピリは流行作家を選ぶことで闇落ちした、と言われてもしょうがないかもしれない。

    まあともかく、「ローヌの谷で」はそんな長い作品ではないので(「ジーナ」の半分くらい)自分で読んで自分で判断してみてください。

  • 完訳ジーナ

    ヨハンナ・シュピリ『ジーナ』。完訳といっても gemini の力を借りてやっとできたものではあるが、これもずいぶん前から手を付けていて果たせなかったもので、今回一気に翻訳できて感無量だ。私がジーナの翻訳を意図したあとで、英訳は出たらしいのだけど(それは敢えて読んでない)、邦訳はまだないはずだ。まだ図版やリンク、語句の統一などこれから整える作業はあるがとりあえず訳は終わったので公開する。

    私はかつて『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』というものを出版したのだけど、この時もgoogle translate を使い、ドイツ語から日本語に直接訳すのはクオリティが低いので、ドイツ語を英語に訳して、英語を自分で日本語に訳すというてまひまをかけていた。

    同じやり方でジーナも訳そうとして、原文のフラクトゥールの文章をテキストデータに文字起こしするところまではやったのだがその作業は 2019年で止まっていた(現在、デジタル化されたデータは projekt-gutenberg で見ることができる。脱力。ましかし、これで原文は完全なパブリックドメインであることが明らかになったわけだ)。

    2012年にはすでに、ハイジの原点を著した川村隆氏によるヨハンナ・シュピーリの『ジーナ』―女性の大学教育と職業をめぐる葛藤があり、また2025年には新たに新本史斉氏がヨハンナ・シュピーリ『ジーナ』,あるいは,「牧歌」の破綻が拓く思考空間を世に問うている。

    Goethe University Frankfurt というところに図版付きの pdf があったのだが、これは外部公開文書なのかどうか判然としなかったので、ここから図版を利用することはやめにした。

    【注意】以下、ネタバレを含む。

    それでまあ、ちょこちょこ機械翻訳するなどして、だいたいのあらすじは知っていたものの、今回全編を通読して、改めていろいろとわかったことがある。

    まず、これは、彼女の初期作品、つまりハイジ以前に書いていた短編集を全部一つにつなげて長編にしたという形のものである。そう言って間違いないと思う。ハイジとはあまり似てない。もちろん似ている部分もあるが、傾向は違う。白水社の『スピリ全集』におさめられた、どちらかといえば、ジュヴナイルというより童話に近い話とも違う。また、シュピリの伝記などを読んで、彼女のバイオグラフィーに詳しい人ならば、この作品がシュピリ自身のことや、友人らの実話を多分に含んでいることも感じられると思う。特に、主人公ジーナのキャラクターはシュピリ本人のものとかなり重なるであろうし、ジーナのおばあさんというのも、シュピリの母メタ・ホイッサーを反映したものであろう。

    シュピリの異様な話の引っ張り方には呆れた。そして最終章でいきなりクレメンティの告白であっけなく結ばれるのにも呆れた。いまどきの恋愛小説なら、こういう比率にはしない。お互い、相手の気持ちに気付いてからも、いろんな恋敵が現れてどろどろの愛憎劇が続いていき、最後には結ばれる、あるいは、結ばれるがまたそこから延長線が始まるところである。

    このシュピリの物語展開は昔話に似ている。いろんな苦難を経て、最後は王子とお姫様が結婚してめでたしめでたしで終わる。それにそっくりだ。つまり極めて古典的なのだ。

    また、一度は医師を志し、医学部の学生になったのにそれを途中で放棄して語学教師になり、それもまたやめて、医者の妻になり家庭に安住するという話の持って行き方。このいかにも美談として仕立てられた、ハイジを書いた大作家シュピリによる小説が、女性解放運動家たちに忌み嫌われた理由もわかる。この小説はドイツ語では美麗な図版入りの本として出版されながら、近年まで英訳すらされなかった、その理由も同じところにあるのだろうと思う。

    オスカーとジーナは相手に連絡を取ろうともせず自ら会いに行こうともしない。むしろどちらも相手を極力避けようとする。しかし偶然のいたずらがいくつも重なって二人は出会ってしまう。これも普通の恋愛小説からはかけ離れている。二人は、利己的で衝動的な恋愛感情によってではなく、神の思し召しによって結ばれた、としか解釈のしようがない。シュピリはそういう恋の駆け引きというものを絶対に書きたくはなかった。しかし、宗教説話にもしたくはなかった。だから運命とか偶然によって無理やりストーリーを展開させ終結させている。これは、現代的なストーリーテラーとしては、たぶん全然失格なのである。人間の能動的な意志の力で逆境を乗り越え、運命を切り開いていくのを描くのが、今時の映画であり、はやりのナラティブであって、それを書けるのが作家の筆力というものではなかろうか。ハリウッドはまさにそうだ。エイリアンにせよプレデターにせよマトリクスにせよみんなそういう仕掛けになっている。

    しかし20世紀後半には超能力が流行り、今はご都合主義の異世界転生やら、架空世界での魔法と奇跡の話が蔓延しているのだから、大した違いはないとも言える。

    今回こうして邦訳を、ハイジに慣れ親しんできた人たちにも読んでもらって、シュピリという作家の本来の、より正確な姿が(フェミニズムとかコンプラなどの現代思想に邪魔されずに)、多くの人々に認識されることを願っている。