戸塚宏なんだけど、体罰というものが50年前まではふつうに人間社会にあったというのは、体罰がそれなりに有効だった証拠に他ならない。
私が中学生の頃には、ケツバットというものがあった。体育館の演壇のへりに手をつかせて生徒をならばせて順番にバットでケツをなぐっていく。
高校生のときも体罰はあった。逃げればいいのだが、なぜかそのころの私は逃げずに受け止めるものだと思っていた。
今なら殴られたら殴り返すと思う。正当防衛だ。
私は体罰を肯定したいわけではない。むしろ嫌いだ。しかし人間もまた動物の一種であるからには体罰は有効だ。猿の調教で根切というのがあるがあれはまさに体罰だ。猿と人がそんなに違うはずがない。戸塚宏は体罰は有効だと言っているのだが、それは真理だ。問題はその体罰を行使してよいかどうかという点だ。
戸塚宏は生物学的に間違ったことは言っていない。体罰で治る若者がいるのは当然だと思う。だが中にはよけいにこじらせたり、悪化したり、死んだりするかもしれない。
ま、私がいいたかったのは、戸塚宏を批判している人は、なんだかよくわからず、正義感で批判しているのではないかということだ。小室直樹が戸塚宏を養護しているのは、生物学的問題と社会学的問題を切り分けているからだ。今日の社会では許されないことも生物学的には正しい場合もある。
もちろん私がそんなややこしい問題に首を突っ込むはずはないのだけれど。
小室直樹は田中角栄も養護した。高校生の頃の私には、まだ、戸塚宏はわかったけれども田中角栄はわからなかった。要するに政治的な問題と倫理的な問題は別だと小室直樹は言っているだけなのだ。
小室直樹がああいう人になったのはなぜなのだろう。高校生の頃の私は小室直樹に心酔していたが、彼を何もしらなかった。いま、60才を過ぎ、1周どころか20周くらい回ってやはりわからない。あれだけたくさんのものを書いた人だからそれを読めばヒントがあるとは思うが、わからん。本居宣長はだいぶ調べてわかってきたつもりだ。次は小室直樹を書かないかと言われて正直困っている。