宣長の和歌趣味

中根道幸も「宣長さん」で、宣長が選んだ「古今選」を分析して、これを「二条派の目で拾われた定家なのである。」とし、「宣長さんの定家観には歪みがあるのではないだろうか。」「宣長さんと定家と共通性なし」「定家の言を金科玉条とし、詠歌を古今独歩とする宣長さんは、何を見ていたのだろう。」「宣長さんが同じく敬する俊成についても同様のことがいえる。」などと、宣長と定家の歌の関連性について疑問を呈している。

結局、宣長の和歌趣味というものは、父方の小津家、母方の村田家らが属していた歌詠み仲間の社交場、伊勢松坂樹敬寺の塔頭、嶺松院で催された歌会のレベルを超えていくものではなかった。彼が生涯詠み続けた歌というものは、彼の親戚らが詠んでいた歌の再生産に過ぎなかった。宣長の定家観がまったくトンチンカンなのもそれでうまく説明が付く。定家は床の間に飾られた色紙に過ぎない。正しい定家認識などというものは、歌会における遊興には邪魔でしかない。いわば、田舎のゲートボール場で勝ち負けを競うおじいちゃんおばあちゃんにとって、プロゴルフ界などほとんど何の意味も無いようなものだ。

もちろん宣長は超一流の国学者であるから、歌学を論じることもあったが、革新的な歌道を興そうとか、歌学の発展に寄与しようなどというだいそれた野望はまったくなかったと言い切ってよかろう。

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