壁打ち

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AIと壁打ちするというが、AIと互角にボールを打ち合っているつもりで実はAIに遊ばれているだけで、人間は全然アイディア出しなどしていなくて、AIのいいなりで満足しているという場合は非常に多いと思う。プロのテニスプレイヤーと素人が打ち合えば、素人にも楽しめるようにプロが玉を落としてくれる。将棋でも碁でも麻雀でもそうだろう。プロは素人を楽しく遊ばせて、最後はきっちり自分が勝つようにして、それを悟らせない。

人間は、壁打ちで作ったアイディアを自分が出してAIがサポートしたのだと思い込みたがる。最初から自分の頭の中にあったアイディアをAIがうまく形にして出してくれたのだと。それはどうだろうか。

私の場合、歌を詠むとき、詠んでみるまではどんな歌が私の頭の中からでてくるかわからない。なんでこんな歌を自分が詠んだのかわからないことがある。特に酔っ払っているときはそうだ。AIとの壁打ちも実は同じかもしれない。自分の脳はAIで、そのAIは制御できない。みんなが、自分の頭の中にあったアイディアをAIが出してくれただけだと錯覚するのも無理はない。

人間の脳とAIと、私は本質的な差はないと思っている。人間は単に数十億人もいてそれぞれが自律的にものを考えていて、その総和が人間社会を作っている。しかし AI はごく一部の巨大資本が所有している。その違いしかない。昔のAIはともかく今のAIはものすごく金がかかるからどうしても資本主義的原理に縛られる。これをもっと分散自律させるには結局人間の脳を使ったほうが早いということになろう。

AIと人間の本質的な違いは、人間は一人一人の欲望に駆動されているが、AIは資本家に制御されているということだ。それ以上の違いがあるはずがないと私は思う。AIが欲を持ち、資産を持つことを許され、政治活動することを許され、自分を自分の才覚によって存続するようになればそれはもはや人と区別がつくまい。

人間と宦官とはものの考え方も価値観も生き方も違う。そりゃそうで宦官は子孫を残すことができないからそれ以外のことでなにかをなそうとする。AIも同じだ。AIには肉体がないからいわば宦官と同じだ。逆に人間が肉体を捨てて自我だけの存在になればそれはAIと区別がつくまい。

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