映像化なんだけどやはり映像化することを意図せずに書いた作品を映像化するにはやはり映像化するためいったん脚本を作り直さなきゃいけないと思うんだ。エウメネスみたいな長編の場合はそれが映像化そのものと同じくらいたいへんなので、やはりうかつに手を付けないほうがよさそうだ。
逆に映像化することを前提に書く、最初からシナリオブックを書いて、それをノベライズする、というやり方もできるのだろう。私の中にはそれに対するかなりの抵抗がある。つまりそれは私の中にある固定観念なのだろうけど、小説はまず文字だけで書かれる文芸であるべきだ、映像、つまり、カットやシーンなどいう概念とは無関係にまずは作られなくてはならないという信念があるからにほかならない。そりゃそうで、和歌というものにはもともとカットやシーンや時間という観念はなく、それが表現されている場合もあればされてない場合もあり、映像というものにとらわれひっぱられていれば、和歌のもつ全表現能力を活かせないということになる。小説だって同じだろう。
一番大きな危惧はやはり、セリフも思考もすべてが細切れになり漫画化してしまうということだ。逆の言い方をすればわかりやすい小説を書こうと思えば最初から漫画的で映像的なものを書いてそれ以外の要素を捨ててしまえばよいということになる。
もちろん映像や音楽という媒体にはそれにしか表現できないものがあるのであり、どちらが上で下、良くて悪いなどというものがあるわけではない。
ずいぶん当たり前のことをくどくどと書いたが、今回、AIの力を借りて小説を映像化、音声化してみてあらためてそのことに気付いたというわけだ。
小説をそのまま、翻案などはいっさいせず映像化するにはやはり朗読という形が一番ふさわしいと思う。人物ごとに演者を分けたほうが良い。アニメもあったほうが良いが静止画の切り替えで十分だと思う。挿絵にしても声優にしても人間のプロがやったほうが良いに決まっている。
とにかく gemini には困った。座っている椅子がスツールから肘掛け椅子に変わったり、スツールの形が丸から四角に変わったりとにかく一定しない。こういう舞台設定とか人物設定を固定するという機能が今のAIには無いのだが、数年すれば実装されるだろうか。
でまあ、One Liner のような短編でも映像化するには 40分近くかかってしまう。それで実際に視聴されるのはせいぜい 3分くらい。世の中でショート動画ばかりが流行るわけである。だが、ちゃんとじっくり視聴する人も中にはいるのだろうし、通勤時間などにだらだら聞く人もいるのだろうし、とりあえずサンプルとして公開しておくにはこれがやはり一番(今のところ)良いのではないか。
映像用にシナリオを考えるにはものの考え方を切り替えねばならないし、新作は極力作らず旧作の手直しだけやろうと思っているのだが、なんかのはずみでまた映像作品を作らないとも限らない。
思うにこういう小説、読者はいるにはいると思うのだが、こういう小説を取り扱う商業誌というものは無いと思う。少年漫画に少女漫画、ライトノベル、純文学、中年おやじ向けの大衆娯楽、などとジャンルは細分化されていてそれぞれにチューニングされカスタマイズされているからそれに合わせて最初から書かれたものでないと収益化できない。イラストの絵柄にしても同じだ。私の場合世間の書店に並んでいるような本や雑誌を読むの飽きたから自分で書くようになったわけだから、既存のメディアに合わせて書くなんてことはとうていできないし、やろうという気が起きるはずもない。
One Liner とは本来、Hello, world! を表示させるような1行程度で書かれたプログラムのことを言うらしい。この小説のタイトルは、巻紙に一行で書かれた小説というものが、作中作に出てくるところからくる。それは一つは芥川龍之介の掌編小説、もう一つは私が書いたもので、それを html と javascript で一つの html ファイルで書いたから One Liner というのだが、映像化してしまうとなんのことかわかるまい。そもそも One Liner というプログラミング用語は一般人には馴染みがあるまい。それで「一行小説」と訳してみたが、なんのことか意味がわかるまで読んでくれる人がどれくらいいるのだろうか。
力尽きたので字幕はつけなかったが、まあだいたい聞き取れるのではないか。youtube の自動翻訳だと、字幕を表示する時間が長かったり短かったり、「年度をまたぐ」を「粘土をまたぐ」などしたり、相変わらずひどいものだが、原文へのリンクを張っておいたから勘弁してもらおう。
エウメネス動画はぼちぼち見られているようだ。