ドナルド・キーン再説2

ドナルド・キーン再説を読んで思ったのだが、ドナルド・キーンが中島敦の書いたものを戦争小説だと思ったのはある意味当然である。中島敦は官僚になりたかったわけでも、軍属になりたかったわけでもあるまい。喘息療養のために南洋庁の官吏となり、パラオに出張したのだ。

あの頃、パラオに官吏として住むということは、同時に軍事にも深く関わることになる。太平洋の最前線だからだ。パラオはもともとドイツ領だったが第一次大戦で日本がドイツからとって保護領としたのだ。

中島敦は来たるべき戦争を予感していた。実際そう書いている。これをもって戦争小説と言いたければ言えば良いと思う。少なくとも反戦小説などは書かぬ人であった。

「山月記」はなぜ国民教材となったのか に既に書いたけれども、パラオの現地人を教育してし、初等教育にとどまらず、高級官僚を育成しようと思えば、高度な日本語を使いこなせねばならず、そこには当然、古文漢文教育が含まれてくる。しかしいきなりパラオ人が和文の古文漢文を学ぶのは難しい。そこで漢文のエッセンスは残しつつ、難しくはあるがしかし面白い教材を書こうとした。それが李陵であったり、山月記、弟子、名人伝であったのだと思う。もともと教科書の教材となることを意図して書いている。これらはいかにも、漢文の初等教材として優れていた。難しいが、本物の漢文に比べれば簡単だし、なにしろ面白い。本格的な漢文を読むためのハシゴとしてちょうど良い。実際国語の教科書に取られもしたし、多くの読者を獲得して、いまだに広く読まれている。ウィキペディアの記事が異様に長く詳しいのは彼の高い人気を反映したものだ。

それらに対して「光と風と夢」「南島譚」「環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―」などはスチーブンソンに倣って南国暮らしをエッセイ風に書いたものであって、教材ではない。また、「悟浄出世」「悟浄歎異」「狐憑」「木乃伊」「文字禍」などは教材というよりはむしろ中島敦の趣味が前面に出たものであろうし、「斗南先生」「虎狩」などはエッセイか私小説のたぐいと言ってよい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です