小室直樹論

村上篤直「評伝 小室直樹」と山本七平「現人神の創作者たち」を比べ読みしているのだが、山本七平は栗山潜鋒を非常に正確に認識しているのに対して、小室直樹は潜鋒を高く評価している割にはその認識はかなり粗雑だ(今風に言えば「解像度が低い」)。山本七平は潜鋒の著書「保建大記」をちゃんと読んでいるが、小室直樹はおそらく潜鋒を平泉澄や市村真一などの論文(雑誌記事)を読んで知っただけなのだろうと推測できる。小室に潜鋒を理解する能力が無いわけがないのだが、理解しようという意欲には欠けていたかもしれない。もし小室直樹が「保建大記」を精読していればああいうことを言うはずがないのである。

小室直樹は京大吉田寮の自室入口に「軍事科学研究会」の看板を出して「日本は戦争に敗けた。では、どうやったら勝っていたのかを研究している」などと言っていたそうだ。これはまさに、1983年にカッパ・ブックスから出た「アメリカの逆襲」のテーマそのものではないか。小室はさらにこれを「日本再軍備の性格」と題する論文にして雑誌「桃李」に投稿し掲載される。「桃李」は平泉澄が主宰する桃李会の出版物であり、小室もこの桃李会の会員となった。これが昭和28 (1953)年、小室直樹21才の時だから、この時から既に小室は平泉門下に入っていたことになる。

昭和31 (1956)年には「桃李」に「スターリン批判からソ連の崩壊へ」という論文を寄稿しているが、これまた1983年に出した「ソビエト帝国の崩壊」の原型であろうと思われる。

平泉澄という人の書いたものを読んでみると、小室直樹の書いたものと、内容も文体もよく似ている。おそらく小室直樹はもともとそれほど文章を書くのがうまい人ではなかった。それで平泉澄の文体を真似て、それが後には小室節とまで言われるようになったのだろう。

平泉澄という人はおそらく本居宣長や賀茂真淵、あるいは松平定信らについてはほとんど何も言及しない人であったと思う。平泉にとって宣長はあまりにも歌人でありすぎた。非政治的、ノンポリな学者に見えたのだろう。自分にとって都合のよい部分は取り、それ以外には無関心だったのだと思う。

小室直樹が宣長について書いているのも、私はほとんど見たことがない。あったとしても、ごく表層的なものだったように思う。

山本七平は宣長についてある程度書いているのだが、それは「小林秀雄の流儀」の中で小林が書いた「本居宣長」について言及しているからであって、小林の宣長理解は相当なものではあったがしかし、私がみるに、小林は宣長についてその独特の直感力によって多くのことに気付いてはいたが、ほんとうに宣長を理解できていたかというとそれはかなり怪しいと思う。山本七平の宣長理解もまた小林を出るものではなく、やはり非常に表層的なものだ。

平泉澄、小室直樹、山本七平らは今のネトウヨの直接の祖先だが、彼らに共通しているのは賀茂真淵や本居宣長に関する理解(というよりシンパシー)が極めて希薄だということだ(宣長から見れば山崎闇斎や山鹿素行などは、もともと中国崇拝者だったものが転向して日本が中心で一番偉いと言い出しただけの連中であり、日本的なもの、中国的なもの、天竺的なものの違いもわからず、日本固有のものかそれ以外のものかの見分けもつかず、従って日本の何が良くて何に価値があるかの区別もついてないくせに、ただむやみに日本を持ち上げようとしている連中に見えた。歌を詠まずに日本的なものの良さがわかるわけがないのである)。クリスチャンだった(つまり宗教というものに対する相対的価値観、批判精神を持っていた)山本七平をのぞけば栗山潜鋒に関する理解も非常にあやうい。頼山陽や松平定信に対する理解もほとんど無いと言ってよい。それにくらべて山鹿素行や浅見絅斎、その系譜に連なる吉田松陰らは非常に高く評価している。これらのことは今のネトウヨにあやまったメッセージを送っているし、いわゆるリベラルや左翼にも、付け入る隙を与えているのである。

また、ネトウヨもリベラルも三島由紀夫を非常に気にするが、三島の思想(例えば和歌とか藤原定家に関する認識)というものも実にあやしいものである。

つまり私が何を言いたいかといえば、栗山潜鋒、本居宣長、頼山陽、松平定信などといった徳川時代の思想家を正しく理解せねば古学や国学、保守とか右翼というものは理解できないし、きちんとした国学理解がなければ水戸学も神道もわからないし、当然(日本における)儒学も仏教もわからんということになる。

学習院長であった乃木希典は裕仁親王に山鹿素行の「中朝事実」を献呈したのだが、裕仁親王はおそらく山鹿素行的な国粋主義をまったく信じていなかったと思う。乃木希典が「中朝事実」を献じて明治天皇大喪の日に殉死した時、裕仁親王はまだ 11才だったので、おそらく当時は何がなんだかわからなかったと思うが、20才でイギリス遊学した以降は完全にそうした天皇絶対主義とか皇国史観というものから遠ざかったと思われる(そうしたものは近代国家の立憲君主にとって危険思想以外の何ものでもない。栗山潜鋒にしても天皇を絶対君主だと言っているわけでは決してないし、武家政権を否定しているわけでもない)。裕仁親王は乃木希典を敬愛していたとは思うが、その思想は決して容認できぬものであった。この天皇と臣下の間の思想のズレというものは戦後の右翼と天皇の間にも残存して、今に至るのである。

小室直樹の「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」は名著であると思う。それは20年以上前、学生時代から温めていた構想があったからだということを知って、非常に納得がいった。その次に出た「新戦争論」もまあまだ真面目に書いている。しかし売れっ子になっていくとだんだん書き殴りとしか思えないものが混じってくる。栗山潜鋒についての記事などもそうした時に書いたものだろう。貧乏学者が印税で食っていくためとはいえ、もう少しなんとかならなかったのかと思う。

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