アッタロスとエウメネス

Εὐμένης (エウメネス)という名だが、Εὐ は明らかに「良い」という意味の接頭語だし、残りの μένης は μένος、つまり心とか欲求などという意味で、全体で「良い思い」とか「良い考え」というような意味だと思われる。

ディアドコイ戦争後のヘレニズム世界にエウメネスとかアッタロスという君主がペルガモン辺りにいて、ここはエウメネスやアルトニス(アルタバゾスの娘)の本拠地に近い。しかもフィリッポス2世の臣下にアッタロスという人がいて、その娘クレオパトラはフィリッポスの妃の一人となり、エウローペー、カラノスという子供まで産んでいる。

当時のギリシャ人には父親(または叔父)の名を自分の子に付ける習慣があった。父子連続して同じ名前ではなく、一代飛ばして同じ名をつける。たとえばアンティオコスとセレウコスのように。

アッタロス、エウメネスという名も同じであった。フィリッポスの将軍アッタロスとエウメネスの血のつながりは明らかではないが、同族であった可能性が極めて高いと思う。つまりエウメネスはもともとマケドニア領内のどこかの領主であり、それでマケドニア朝廷に出仕していたのだろうと思われるのである。カルディアという漁村生まれの一般庶民という設定はおそらく間違っている。

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