蘐園塾

荻生徂徠の私塾は蘐園と呼ばれていた。蘐は茅(かや)を意味し、茅場町に由来する。茅場町は江戸切絵図を見ると楓川に架かる海賊橋と亀島川に架かる霊岸橋の間に位置し、それは表茅場町、裏茅場町に分かれている。表茅場町は日本橋川に沿った細長い町であり、川の反対側にやはり細長く裏茅場町がある。

徂徠宅の隣に宝井其角という俳人が住んでいて、「梅が香や隣は荻生惣右衛門」という俳句を詠んだ。その宝井其角住居跡には碑が建っているので、ほぼその位置は特定できる。つまり徂徠宅は裏茅場町にあったらしいのである。

ところで赤穂浪士は永代橋を渡ったあと茅場町を通ったかどうか調べてみたのだが、ネットにある情報はどれもこれもあやしい。蛇行する必要がないのである。

永代橋を渡ったら豊海橋、高橋を渡って八丁堀を越え、築地本願寺、一ノ橋、汐留橋、その後は東海道を通って泉岳寺に行けば良く、それが最短ルートだ。

築地本願寺が西本願寺と地図に書かれているのは、築地本願寺が京都の西本願寺を本山とするからだろう。東にあるのに西本願寺とは紛らわしい。

八丁堀とは京橋川を東に延長した先のことである。どうも楓川を八丁堀と勘違いしている人が多いようだ。この八丁堀とは別に神田八丁堀というものがあるがこれは竜閑川のことである。

なお赤穂浪士事件は 1701年、徂徠が茅場町に住み始めたのは 1709年なので、赤穂事件のときにはまだ徂徠は茅場町にはいなかった。その前は芝増上寺辺りに私塾を開いていたらしい。

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